2009年9月28日月曜日

フェリックス・ワインガルトナー

フェリックス・フォン・ワインガルトナー(Edler Felix Paul Weingartner von Münzberg, 1863年6月2日:ザーラ(オーストリア・ハンガリー帝国領ダルマチア。現・クロアチア) - 1942年5月7日:ヴィンタートゥール)は指揮者、作曲家。ユダヤ系。標準ドイツ語の発音に近い「フェーリクス・ヴァインガルトナー」と表記される場合もある。

生涯

4歳の時に父親の死去により、一家とともにグラーツに移る。グラーツ時代から音楽の勉強を始め、音楽評論家エドゥアルト・ハンスリックの知己を得て、1881年にハンスリックの推薦でライプツィヒ大学に入学。初めは哲学を専攻するが、程なく音楽に身を投じグラーツ、ライプツィヒ、ヴァイマルの各音楽院で学んだ。ヴァイマルではフランツ・リストの弟子となった。1882年にはリストの推挙を受け、彼の作品を上演する機会に恵まれたが、安定した生活を求めて作曲家から指揮者に転じた。

1885年にケーニヒスベルク、次いでダンツィヒ、ハンブルクの各歌劇場の指揮者となる。1889年にマンハイム国民劇場のホーフカペルマイスター、1891年にはベルリン宮廷歌劇場(現、ベルリン国立歌劇場)の首席指揮者となり、1898年まで務めた。1908年にはグスタフ・マーラーの後任としてウィーン宮廷歌劇場(現、ウィーン国立歌劇場)とウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(当時は常任指揮者制)の音楽監督に就任した。歌劇場の方は3年で辞任(後に1934年~1936年のシーズン音楽監督に復帰している)したが、ウィーン・フィルの常任は1922年まで続いた。途中、1919年にはウィーン・フォルクスオーパーの音楽監督も兼ねた。

1934年から1936年にはザルツブルク音楽祭にも出演した。また、1898年以降イギリスのオーケストラにしばしば客演し、南北アメリカにも単身渡米での客演やウィーン・フィルとのツアーで訪れている。1937年に朝日新聞と日墺協会の招聘で、4度目の夫人(3度目とする書物もある)で指揮の弟子でもあったカルメン・テューダーとともに来日、夫婦で新交響楽団(現在のNHK交響楽団)を指揮した。ナチの勢力拡大とともにパリに逃れ、第二次世界大戦勃発直前にロンドンへ向かい、最後はウィーン辞任後定住していたスイスに戻り、1942年5月7日にヴィンタートゥールの病院で亡くなった。

弟子にはヨーゼフ・クリップス、ハンス・スワロフスキー、クルト・ヴェス、ゲオルク・ティントナー等がいる。


レコーディング

ワインガルトナーの初レコーディングは、1910年に自作の歌曲を、3番目の夫人(諸説ある)でもあるソプラノ歌手ルシール・マルセルの共演を得て録音したのが最初である。1923年にはオーケストラを指揮してのレコーディングを開始。以後、ワインガルトナーの残した録音は、米コロムビアに残した若干数を省くとすべてEMI(英コロムビア時代も含める)からのリリースである。

1999年に、新星堂と東芝EMIの企画で、ワインガルトナーのEMI録音をすべて網羅した24枚組のCDセットを販売した他、現在では、代表的な録音がナクソス・ヒストリカルやオーパス蔵から異なる趣向の音質でもリリースされている。

バッハ
管弦楽組曲第3番(1939年)

ヘンデル
合奏協奏曲Op.6-5(1939年、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団)
合奏協奏曲Op.6-6(1939年、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団)
歌劇「アルチーナ」抜粋(1939年)

ボッケリーニ
ボッケリーニのメヌエット(1931年)
ハイドン(当時。レオポルト・モーツァルト説を経て、現在はエトムント・アンゲラーが真の作曲者とされる)
おもちゃの交響曲(1931年4月7日、ブリティッシュ交響楽団)

モーツァルト
交響曲第39番(1923年、1928年、1940年)
「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」

ベートーヴェン
交響曲全集
第1番(1937年10月19日、ウィーン・フィル)
第2番(1938年3月2日、ロンドン交響楽団)
第3番(1936年5月22日・23日、ウィーン・フィル)
第4番(1933年11月13日・14日、ロンドン・フィル)
第5番(1932年3月17日・18日、ブリティッシュ交響楽団)
他に1924年、1927年、1930年にもレコーディングをしている
第6番(1927年1月18日・19日、(旧)ロイヤル・フィル)
第7番(1936年2月24日~26日、ウィーン・フィル)
他に1923年、1927年にもレコーディングをしている
第8番(1936年2月26日、ウィーン・フィル)
他に1923年にもレコーディングをしている
第9番(1935年2月2日~4日、ウィーン・フィル)

いわゆる「ワインガルトナー版」と呼ばれる校訂版であり、弦をはじめ一部のパートのオクターブを高く移動し、作曲当時の楽器の性能による制限にとらわれず高音部においても動機を自然な形で再現しているが、現在はあまり省みられない。

他に1926年にもレコーディングをしている。1926年盤は歌詞が英語で歌われている。
「ハンマークラヴィーア」管弦楽編曲版(1930年3月26日~31日、(旧)ロイヤル・フィル)
三重協奏曲(Vn:リカルド・オドノポソフ、Vc:ステファン・オーベル、Pf:アンヘリカ・モラレス、1937年10月20日・21日、ウィーン・フィル)

ピアノ協奏曲第3番(1939年6月10日、Pf:マルグリット・ロン、パリ音楽院管弦楽団)

「プロメテウスの創造物」序曲(1933年11月14日、ロンドン・フィル)
「エグモント」序曲(1937年10月19日、ウィーン・フィル)
「エグモント」間奏曲第2番、"クレールヒェンの死"(1938年10月7日、ロンドン・フィル)
「フィデリオ」序曲(1938年10月7日、ロンドン・フィル)
「献堂式」序曲(1938年10月7日、ロンドン・フィル)
「アテネの廃墟」序曲(1940年2月29日、ロンドン響。ワインガルトナー最後のレコーディング)
11のウィーン舞曲WoO.17(ベートーヴェンの真作かどうか疑わしい)(1938年10月7日・8日。ロンドン・フィル)

ブラームス

交響曲全集
第1番
第2番
第3番
第4番
大学祝典序曲(1940年2月29日、ロンドン響)
ハイドンの主題による変奏曲

シューベルト
「ロザムンデ」間奏曲第3番(1928年5月3日、バーゼル管弦楽団)

ベルリオーズ
幻想交響曲(1925年)
歌劇「トロイ人」トロイ人の行進(1939年)

リスト
ピアノ協奏曲第1番、第2番(1938年、Pf:エミール・フォン・ザウアー、パリ音楽院管)
「前奏曲」

ウェーバー
「魔弾の射手」序曲(1927年。1931年、パリ交響楽団。映像)

メンデルスゾーン
交響曲第3番

ワーグナー
「神々の黄昏」より『ジークフリートのラインの旅』、『ジークフリートの葬送行進曲』(パリ音楽院管)
シュトラウス一家(ヨハン・シュトラウス2世、ヨーゼフ・シュトラウス)
「春の声」(1931年4月8日、ブリティッシュ響)
「千一夜物語」(1931年4月8日、ブリティッシュ響)
「無窮動」(1929年5月3日、バーゼル管)
「ピチカート・ポルカ」(1929年5月3日、バーゼル管)
「酒・女・歌」(1929年5月3日、バーゼル管。1939年7月22日、パリ音楽院管)
「美しく青きドナウ」(1927年1月28日・1月30日、(旧)ロイヤル・フィル)
「天体の音楽」(1930年4月1日、(旧)ロイヤル・フィル)



作曲

オペラ
「シャクンタラ」(1884)
「マラウィカ」(1886)
「ジェネシス」(1892)
「カインとアーベル」(1914)
「小人夫人」(1916)

室内楽
ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第1番ニ長調op42-1
ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第2番嬰ヘ短調op42-2
折りふしの綴り~ピアノのための8つの小さな叙情的描写op4

その他
交響曲第6番「悲劇的、シューベルトを偲んで」ロ短調op74(第2楽章は「未完成」の第3楽章のスケッチを下敷きにしたもの)
「フジヤマ」(山部赤人の和歌による)
歌曲「羊飼いの日曜日の歌」
歌曲「春の幻影」


編曲

ベートーヴェン:「ハンマークラヴィーア」
ベートーヴェン:「大フーガ」Op.133
ウェーバー:「舞踏への招待」
シューベルト:交響曲ホ長調D.729
シューベルト:「夜と夢」



Felix Weingartner : Richard Wagner : Siegfried Idyll : Teil 1





Felix Weingartner conducts Brahms Symphony 3